上海ロックダウンの実情【上海タキゲン現地レポート】

新型コロナウイルス感染拡大の影響により、中国 上海市では3月31日より事実上のロックダウンに入り、6月1日に解除されました。
上海のすべてが機能を止める中、上海タキゲンも事務所ビルが閉鎖となり、メンバーも自宅隔離となりました。その間2カ月の隔離生活をレポートします。

上海タキゲン 小平

ロックダウンの始まり

上海はロックダウンにより、交通・物流をはじめ、すべての機能が停止し、自宅隔離が義務付けられました。外出することができず、物流は止まり、何も買えない状況が続きました。当初、市政府からロックダウンは5日間という発表がありましたが、日が経つにつれ感染者数が拡大。度重なる期間延長が続きました。

隔離解除の見通しが遠のいて不安になったのは、自宅にある備蓄だけでやりくりできるのはいつまでなのかということでした。

隔離から10日ほどで政府からの支援物資が到着

隔離中に政府から配給された食材

ありがたいことに、私の住んでいる団地では食材の共同購入ができました。しかし、米、野菜、調味料などの購入はできるものの数に制限があり、全員が買える状況ではありません。

私は1カ月ほどの備蓄があったので暫く購入はせず、生活用品もある程度ストックしていたおかげで、不足することなく過ごせました。隔離中は三食自炊をしましたが、体を動かしていなかったため、普段よりもセーブした量で食事をしていました。

隔離が始まって10日ほどで、政府から支援物資が配られました。日本では見たことがない食材もあり、調理法など調べようもなく苦労しました。政府からの配給は私の団地で7回ほどあり、食糧危機を回避できました。中国は外食が安いため自炊をする機会が少なかったのですが、今回の隔離生活で料理ができるようになったのは最大の収穫となりました。

麻婆豆腐とミルフィーユ鍋。手料理をふるまえるように練習中!

感染者がいないエリアから自宅隔離を解除

隔離中は部屋の窓から外の景色を眺めるだけでしたが、唯一外に出られる機会がありました。それはPCR検査の時です。検査する際は2m間隔で並び、15分ほどで検査は終了。そしてすぐに自宅へ戻ります。その生活が暫く続くこと1カ月、私の団地は居住者が少なく、感染者も発生していないことから、防範区(警戒エリア)という近所への外出が可能な団地に指定されました。最初は散歩とストレッチで筋肉を戻そうと外に出てみると、周りには誰もいません。団地外ではお店も営業していないため、街は閑散としていました。

今回のロックダウンの最大のポイントは、いつになったら解除されるかということでした。期限が明確であれば計画が立てられますが、先行き不透明で不安が募りました。2,600万人が一斉に隔離され、感染者は専用施設で監視、団地で1人でも感染者が発見されると団地住民全員が隔離されます。政府側は上海以外からも応援を要請し、軍も出動させていました。

ここまで長期化すると誰も予測できなかった上海のロックダウン。このような経験は人生で初めてで、物流業界と飲食、食料業界の偉大さを再認識しました。

現在、店内での飲食は一部行えるようになり、出前サービスも動き出しました。事務系の日系企業は感染リスクを考慮し、今もなお在宅勤務されている会社もあると聞きます。

事務所や公共機関にQRコードがあり、どこを通過したのか管理されている。地下鉄に乗る際には手荷物検査前に検査員に72時間以内の陰性証明(アプリ)を提示する。

上海タキゲン再始動

上海タキゲンは、3月31日〜5月30日まで会社事務所ビルが閉鎖のため事務所にすら入れず、製品発注などリモートワークでできる範囲で業務を行い、その他は何もできない状態が続いていました。

6月から業務を再開しましたが、運送業界の稼働率が50%、上海タキゲンのあるビルも人員50%以下の制限がありました。

7月からはフル稼働で出勤できるようになっています。街も日常を取り戻しつつあり、従来どおりお客様からご注文いただいた製品を確実にお届けできるよう最善を尽くしてまいります。

中国で製品をお求めの場合は上海タキゲンへお問合せください。