情報の面白さを、ちょっと視点を変えて眺めてみると今までと違った側面が見えてきて、時にはビジネスにも役立つ発想がわいてきたりするものです。

「手軽さ、便利さより、やすらぎ」レコード、カメラ、手書きなどアナログ復活

アナログレコード

デジタル化の流れに息苦しさを感じる人も

スマートフォンでYouTubeにアクセスすれば、クラシックでもジャズでも演歌でも、たいていの曲は簡単に聴くことができる。それほど便利でお手軽な時代になっているのに、いまレコードが静かな人気になっていると聞けば、驚く人も多いのではないでしょうか。レコードとは、そうです、あの薄くて黒い円盤型をした音楽用レコードのことです。

2014年のレコード生産量は前年比166%にまで伸び、人気アーティストたちがCDだけでなくレコードでも音楽を提供しています。各音響メーカーもスピーカー付きの簡便なプレイヤーを1万円以下で販売しています。そのため人気はどんどん高まっています。

CDの音質に不満がある人がハイレゾへ移行するのは納得できますが、いま人びとがアナログレコードに求めているものは音質ではないはずです。それは、心のゆとりであり、手間ひまをかける手作業から得られるやすらぎのようなものではないでしょうか。

プレイヤーにレコードを載せる、針を下ろす、CDと違い早送りはできません。少しノイズのある音を聴き終わったら、レコードを裏返してB面に針を下ろす……。

レコード アナログ

日常がどんどん機械化し、デジタル化していくと、確かに便利であり効率的にはなりますが、無機質な部屋に閉じ込められていくような閉塞感、息苦しさをどこかで感じる人も増えてきます。だから、アナログ的なものや手作業の時間などが欲しくなる。それは心理学的に難しく考えなくても、多くの人が日々少なからず感じているはずだと思います。

もちろん、全体からすればレコード人気は部分的なものにすぎず、今後もデジタル化の大きな流れは続くでしょう。ただ、そこに何か不満が残る……、それも事実なのです。

「手は、いつも直接に心と繋がれている」

話は音楽だけではありません。カメラも今ではデジタルが当たり前ですが、撮影すると名刺サイズの印画紙が出てくるポラロイド式のカメラが、数年前から特に女性の間で人気になっています。写真を撮って、見るだけならデジタルで問題ありません。しかし、それがすぐにプリントされ、手で触れて、みんなでワイワイ楽しめる。この雰囲気の中にある温もり感、やすらぎ、そこに多くの人が何かホッとするものを感じているのでしょう。

某メーカーのスタッフに聞いたところ、海外から日本に来る旅行者にもこのカメラは人気だというので、日本人のメンタリティーに限った現象ではないようです。

また、このパソコン時代に万年筆が静かなブームになっているし、写経を愛好する人も(必ずしも年配の人だけでなく)増えています。100円ショップの文具コーナーにさえ写経セットが置いてあるほどですから、一部の人たち……とは言えないのかもしれません。

これらの現象の底にあるのは、過度のデジタル化や便利さ、効率性に多くの人がなにか息苦しさを感じているということではないでしょうか。たとえどれほど便利な機械に囲まれて暮らしても、人は機械にはなれません。こころは合理性だけでは満たされません。だから、非合理的で手間がかかっても、こころの安らげるものが欲しくなる。

かつて柳宗悦(民藝運動の祖)は『手仕事の日本』で、「手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋がれていること」だと書きました。だから、どれほど社会がデジタル化しても、どこかで手作業の部分を残しておきたい。非効率でもいいから手間ひまかけたい。ヒトがヒトである限り、そういう欲求がなくなることはないのかもしれません。