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W杯でのゴミ拾いに世界から賞賛の声 〜日本人には普通のことに、なぜ海外の人たちは驚くのか〜
フランス大会以来すっかり定番になった日本人のゴミ拾い
サッカーW杯は、オリンピックを凌ぐ世界最大のスポーツイベントなので、試合の内容だけでなく、さまざまな出来事が話題になります。今年のW杯ロシア大会でも紹介された日本人サポーターによる試合後のゴミ拾いもその一つです。日本が初めてW杯に出場した1998年のフランス大会で注目された試合後のゴミ拾いは、いまではすっかり定番のボランティア活動になり、毎回、賞賛されたり皮肉られたりと、いろいろに報道されてきました。
自分たちが観戦した場所のゴミを拾う。日本人には何でもないことですが、各国のマスコミから絶賛されるとちょっと意外な感じがします。まあ、誉められているのだから悪い気はしませんが。しかし、「日本人の活動は尊敬に値する」とか「彼らにはクラス(品格)がある」「世界は日本人に学ぶべきだ」とまで言われると面映い感じはします。
国際ビーチクリーンアップ活動では、世界中の人びとが世界中の海岸を清掃しているため、ゴミを拾ったり、清掃したりすること自体に驚いているわけではないようです。「サッカー会場には清掃担当者がいるだろう。ゴミ拾いや清掃は彼らの仕事だし、観戦チケットには清掃代も含まれているはず。だから自分たちは掃除をする必要はないし、もし掃除をすれば清掃担当者の仕事と収入を奪うことになる」
海外の人びとの多くは、そういう論理で考えるようです。だから、大リーグの試合を観ても、ベンチ内には紙コップなどが散乱し、日本人の感覚では驚くほど汚れています。でも大リーガーたちは、清掃は清掃担当者の仕事で、自分たちの仕事は野球をして観客を楽しませることだと考えます。こういう意識は、日本人には希薄ではないでしょうか。
子供たちに自分たちの教室を掃除させるのは児童虐待?
スポーツの試合後のゴミ拾いと同じように、海外の人びとが驚くのが、日本では小学校や中学校で生徒が放課後に自分たちで教室を掃除することです。これも私たち日本人にはごく普通のことですが、海外からは賛否両論さまざまで、「自分たちの教室を自分たちで掃除する。それは素晴らしいことだ」という意見があるかと思えば、「これは明らかに児童虐待だろう」と非難する声もあります。自分たちにとって常識であることが、違う国や文化では非常識であったりするという事実を改めて考えさせられてしまいます。
アメリカやヨーロッパの国々では、教室の掃除は清掃員の仕事です。学校は、子供にとって勉強する場所であり、掃除をする場所ではないというのが基本的な考えのようです。もっとも、海外でも私立の学校の一部には生徒が掃除をする例もあるようですが。
掃除は清掃員の仕事、それは筋でしょう。しかし、日本人には誰の仕事かはともかく、自分たちが使った場所は自分たちで清潔にしようという意識があります。ホテルや旅館に泊まっても、朝はシーツを剥がして畳んだり、部屋を整頓したりは普通です。ファミレスなどでも、皿を重ねたり、テーブルの端に寄せたり、店員が片付けやすいようにします。
子供の時から親のそんな姿を見て真似をし、学校では教室を掃除する。そうやって育った日本人なら、サッカーの試合の後に誰かがゴミを拾いだしたら、それに違和感をもつことなく自分も参加する。そこが日本人のメンタリティーの美点ではないでしょうか。
もっとも、国内のJリーグやプロ野球の全試合でゴミを拾うわけではないことも事実ですし、競馬場や競輪場では、いつも風にゴミが舞っている。それも、また事実ですね。
五輪でマナーが向上
海外の目を気にして努力!
池上彰さんも指摘していますが、日本人の公衆道徳が向上したのは1964年の東京オリンピックがきっかけ。それまで道路に捨てていたゴミをポリバケツに入れるようになり、道に痰を吐いたり、立ち小便をしないようにとパンフで呼びかけた。外国の人に見られて恥ずかしくないように、と。昔からマナーが良かった、は誤解。