情報の面白さを、ちょっと視点を変えて眺めてみると今までと違った側面が見えてきて、時にはビジネスにも役立つ発想がわいてきたりするものです。

情報「過剰」社会の生き方 〜溢れる情報に踊らされず、自分の判断基準をもつ〜

2020年には40ゼタバイトのデジタルデータが世界を駆ける

arekore_073iインターネットや携帯電話が普及しだした頃、情報化社会という言葉がさかんに言われましたが、あれから20数年が過ぎ、現代は「情報過剰社会」になってしまいました。総務省の『情報通信白書』は、「国際的なデジタルデータの量は飛躍的に増大しており、2011年(平成23年)の約1.8ゼタバイト(1.8兆ギガバイト)から2020年(平成32年)には約40ゼタバイトに達すると予想されている」と、情報量の凄まじさを訴えています。

ゼタバイト……。ピンときますか?外付けHDDなどでは、すでにギガの上のテラ単位のストレージが販売されていますが、テラの上がペタ、エクサ、そしてゼタです。漢字の単位でいえば、億の上が兆、京、垓(がい)で、ゼタとは「10垓」と同じ、数学的に表現すれば「10の21乗」になります。まったくピンとこないレベルですが、それほど膨大な量のデジタルデータが世界を飛び回っていて、さらに増加しつづけているのです。

人類最初の「情報」は、おそらく岩や石に描いた絵のようなものだったでしょう。やがて竹や革やパピルスなどに文字を書きはじめ、2世紀には紙が発明され、15世紀半ばにグーテンベルクの活版印刷術が登場すると、情報量は飛躍的に増えていきました。

出版不況といわれながらも、国内だけで毎年8万点以上の単行本が出され、雑誌も商業誌だけで3,500誌ほどあります。新聞は全国紙だけでなく地方紙もあり、ラジオやテレビのチャンネルもどんどん増えています。しかし、インターネット時代の情報量は、それらすべてを遥かに超えるもので、IoT(モノのインターネット)が進めば、あらゆるものが情報を発信することになり、もう誰にも情報を制御できない社会になるかもしれません。

情報発信のスピードが速くなると短時間に情報の価値がなくなる

「ジャムの研究」と呼ばれる面白い実験データがあります。スーパーの店頭に24種類のジャムを並べた時は、買い物客の60%が立ち寄り、3%の人がジャムを買った。しかし、ジャムを6種類に減らすと、立ち寄ったのは40%の客ですが、買った人は30%になったというのです。人は情報量が多いと興味を引かれるのに、その情報量をすべてインプットし、分析し、比較するのは困難で、いざ決断する際になると迷って動けなくなります。

また、自分の持っている情報量と、「欲しい量」には常に差があります。情報過剰社会では、その差が拡大を続けますから、どこまで情報を集めても満足できない。安心できない。だから自分に自信がもてない。そんな不幸な現象すら現れてきます。

昔、情報化時代の初期には、「モノを売るな、情報を売れ」などと言われました。希少な情報を入手することでライバルに差をつける、それが可能だと思われたからです。しかし、情報が過剰になると、どれが希少で、どれに価値があるのかさえ判断できなくなり、ついには溢れる情報の中で溺れてしまう。決して笑いごとではなくなってきました。

1970年代にアルビン・トフラーは、やがて来る情報過剰時代を予見し、情報発信のスピードが速くなると情報の価値は短時間に失われるようになり、意味のない情報ばかりが溢れる社会になると警告しました。まさに達見だと言わざるをえません。

情報に踊らされず、自分の判断基準や価値観をもつ。言うは簡単ですが、実現は難しいでしょう。しかし、次々に登場してくる膨大な情報の中で己を見失い、ただ右往左往するだけでは、なんのための情報なのか、それさえ意味がなくなるのではないでしょうか。