【第19回】タイ王朝の軌跡と三大王 タイ支店
第19回はタイです。インド・ヨーロッパ方面と中国とをつなぐ交易の拠点として、古くから発展を遂げてきました。また、建国以来独立を維持した王国で、国民は日常的に国王を崇める習慣を持っています。さて、今回が最終回です。歴史のほんの一部しかご案内できませんでしたが、少しは支店地域に興味をもっていただけたでしょうか。歴史はこれからも刻み続けますよ!
タイ王国発祥 スコータイ王朝
インドシナ半島は9世紀から13世紀まで半島の大半がクメール王朝(アンコール王朝)でした。13世紀初頭にはその支配力が弱まり、配下にいたタイ族がスコータイ平野に最初の統一国家スコータイ王国を築き、約200年間繁栄させました。これがタイ王国の原型です。スコータイは「幸福の夜明け」を意味し、タイ族の人々の国家への希望や喜びが込められています。
スコータイ王国の三代目ラムカムヘーン王は、自ら人民の声を聞き、自由交易、租税の免除、焼き物などの文化面での振興、仏教を国教にするなど、タイ史上「三大王」の一人として今も語られます。タイ文字もこのころ制定され、この王国はタイ族の理想郷と呼ばれています。
国際貿易港として栄えたアユタヤ王朝とビルマの進攻
1317年にラムカムヘーン王の亡きあと王国が徐々に衰退すると、タイの中部アユタヤにウトーン王がラーマティボーディー1世と名乗り、アユタヤ王朝を築きました。これより百年弱スコータイ王朝(9代目まで)を併合し、後に滅ぼしました。
アユタヤ王朝は隣国ビルマ(現ミャンマー)に一度侵攻されますが、再び奪還し王国はヨーロッパをはじめ国際的な交易で400年間栄えました。この戦いに勝利した21代ナレースワン大王も「三大王」の一人で、タイの武道ムエタイの原型を考案したとされます。
16~17世紀には御朱印貿易で日本人町もあり、後に山田長政も活躍します。
戦争に明け暮れたトンブリー王朝から現在のチャクリー王朝へ
その後アユタヤ王朝はビルマ軍に再び侵攻されますが、奪還した将軍タクシンがトンブリー王朝を誕生させました。しかし、首相にあたるチャオプラヤー・チャクリーに王位を剥奪されわずか15年、1代で滅びました。現在の王朝であるチャクリー王朝(バンコク王朝)が1782年に誕生し、チャクリーはラーマ1世となり、戦争で荒れた国内を整備しました。
ラ―マ4世は欧州との外交、文化交流、仏教に力をいれ、劇作「王様と私」のモデルに、ラーマ5世は奴隷の解放、教育制度の制定、公的機関の整備、絶対王政の確立などの功績で、「三大王」の一人として銅像も多く建てられています。
タイは1939年までは正式にSiam(英語読み:サイアム)(日本語発音:シャム)と呼びましたが、同年、時の首相ビブーンが「タイ」に変更しました。
現プミポン国王ラーマ9世は学生時の即位から69周年(2015年)の、世界で最長の在位期間を誇り、地方活性に努めています。国内のいたるところで肖像画が目にでき、愛される国王です。
タイ タキゲン
TAKIGEN THAILAND
141 Major Tower Thonglor, 7th Floor, Room 5-6, Soi Sukhumvit 63 (Ekamai), Sukhumvit Rd., Klongtan Nua, Wattana, Bangkok 10110, Thailand
TEL:+66-2049-0990-2
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