【第5回】文化の香りが息づく和歌の都の歴史人 宇都宮支店
第5回は宇都宮支店です。宇都宮市は栃木県の県庁所在地で、北関東の中核都市となる経済、産業規模を誇っています。代々下野国の豪族であった宇都宮氏は藤原氏の流れを組むといわれる名門。5代目当主となる宇都宮頼綱は、御家人の傍ら宇都宮歌壇を築き上げ、藤原定家との交流から『小倉百人一首』の成立にも関与し、文化的な役割も果たしました。
北関東の名門 宇都宮氏の系譜
下野国(現在の栃木県)の一宮(最大の神社)であった二荒山神社は、古くからこの地の鎮守でした。この一宮がなまって宇都宮になったという説もあります。別称で宇都宮二荒山神社といいます。平安時代後期に守護職の藤原宗円(初代宇都宮氏)が、この二荒山神社の別当の任命を受け、社務職に就きました。この宗円が二荒山の南に居を構えたのが、最初の宇都宮城です。その後宗円の孫にあたる3代当主の藤原朝綱から名字に宇都宮姓を名乗るようになりました。朝綱は弓の名手として、源頼朝にも一目を置かれました。そして5代当主となる宇都宮頼綱は奥州藤原氏の討伐で鎌倉幕府に働きがありましたが、1205年に思わぬ謀反の疑いをかけられました。すると自らの潔白を証明するため頭を剃り出家します。この時28歳。名を蓮生と改めました。
出家後も幕府に仕え、宇都宮家を維持する
出家しても蓮生は宇都宮の当主として鎌倉幕府の有力な御家人に変わりはなく、幕府に仕えました。1221年に後鳥羽上皇が起こした承久の乱の際には、鎌倉の留守を警護し、その働きから伊予国の守護職を与えられています。こうして6代安綱、孫の7代景綱が鎌倉幕府の重職を務めるなど、宇都宮家の政治的な立場を確立させました。
藤原定家との出会いと『小倉百人一首』
幼いころより和歌に親しむ環境にあった宇都宮蓮生は、出家後、京都の嵯峨野に移り、歌人としての活動をはじめました。ここで当代随一の歌人で『新古今集』『新勅選集』の選者であった藤原定家と出会いました。和歌の指導を受け、さらに交流を深めるなかで、自分の娘を定家の子息 為家に嫁がせました。
また、蓮生は小倉山麓に建てた別邸「中院山荘」の襖の装飾用に、定家に色紙を依頼しました。定家はその申し出に応え、飛鳥時代から鎌倉時代までの優れた100人の歌人から、一首ずつ歌を選び出し色紙にしたためました。これが後の『小倉百人一首』の原型となる、大きな価値を生みました。
宇都宮歌壇を築き上げた蓮生
こうした歌の活動を通じて、いつしか宇都宮一族から優れた歌人が登場し、地方歌壇へと成長したのが宇都宮歌壇(歌人たちの活動の場・社会)です。その成果は、ほぼ100年間の勅撰集天皇の命により編纂される和歌集)に、宇都宮一族16人の歌119首が選ばれるまでになりました。やがて京都歌壇、鎌倉歌壇、宇都宮歌壇を日本三大歌壇と呼びました。
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