【第7回】「逆井の渡し」と小松菜発祥の地 小松川支店

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安藤広重作 名所江戸百景「逆井の渡し」 向こう側が小松川です

第7回は小松川支店です。東京都江戸川区の北西部にあたる小松川地区一帯は、古くから湿地帯や川に囲まれた中洲でした。江戸時代は下総と江戸を結ぶ街道として、旧中川には「逆井の渡し」があり、安藤広重も「名所江戸百景」のひとつとして描いています。現在東京23区中1人当たりの公園面積が第1位の区として緑と水をたたえています。

元佐倉道は下総への重要路

江戸時代には現在の千葉街道にあたる元佐倉道があり、江戸から亀戸(かめいど)村を経由し佐倉、成田を結ぶ要衝でした。途中、旧中川を渡る渡船場(とせんば)として「逆井(さかさい)の渡し」があり、旧中川を亀戸村から渡る対岸が現在の小松川地域(西小松川村の一部)でした。辺りは当時、風光明媚な趣のある場所で、浮世絵師の安藤広重も「名所江戸百景」のひとつとして、逆井の渡しを描いています。

徳川吉宗が命名した「小松菜」ゆかりの地

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小松川から生まれた小松菜

風味のある野菜の小松菜は、ここ小松川辺りが原産地といわれています。徳川家の鷹狩場でもあった小松川に八代将軍・徳川吉宗が狩りに訪れた際、出された食事に、ここで栽培していた葛西菜(かさいな)という菜っ葉をすまし汁に入れたところ、大変喜んで、この地にちなんで小松菜という名をつけたといわれています。小松菜は今も江戸川区の特産野菜として広く流通しています。

荒川の水害対策と小松川閘門(こうもん)

現在の荒川は、荒川放水路として開削(かいさく)された人口河川です。旧荒川は、その名のごとく大雨が降るとすぐに流れを変える暴れ川で、たびたび江戸の下町に大きな洪水被害をもたらしました。決定的だったのが多数の死者を出した明治43年の関東大水害でした。これを機に、墨田方面へ流れる荒川を分岐させる荒川放水路の計画が立てられました。これが完成まで20年という歳月を費やす大工事となり、費用も工事従事者も桁外れの規模で、数十名の犠牲者もでました。もうひとつ、洪水時に墨田川への流れを塞いだのが旧岩淵(いわぶち)水門(赤水門)です。現在では新岩淵水門(青水門)がその役目を引き継いでいます。こうして東京は洪水からの被害を大きく減らしました。

この工事で新荒川と旧中川の水位が異なり、船の交通に支障をきたしました。そこで水位の違う二つ河川を結ぶ水路で水位を調整し、船を上昇・降下させる特殊な水門を造りました。これが現在も大島小松川公園に残る旧小松川閘門です。

1965年に改正された河川法で開削した放水路が新しい「荒川」となり、元の荒川は隅田川となりました。ちなみに荒川区が隅田川に面しているのに、こう呼ぶ理由がここにあります。

東京大空襲で下町は火の海

昭和20年3月10日の東京大空襲により江戸川区では800人が犠牲になりました。区役所も全焼し唯一焼け残った文書庫が現在でも保存されています。また、隣接する公園に、再び戦禍を繰り返さないようにと「世代を結ぶ平和の像」が建てられ、平和へのメッセージを託しています。

タキゲン製造株式会社 小松川支店

小松川〒132-0034
東京都江戸川区小松川4-61
TEL:03-3683-8000
営業時間:月~金曜日:8:45~19:00
駐車場:2台

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