【第6回】宿場町から文化のまち、 埼玉サッカーの聖地へ 浦和支店
第6回は浦和支店です。浦和は江戸時代の五街道のひとつ中山道の「浦和宿」として、江戸日本橋から3番目にあたる宿場町でした。明治から平成への変遷では、浦和町、浦和市、平成13年(2001年)の合併でさいたま市の一部となり、政令指定都市後の区制施行にともない4つの区がおおむね旧浦和市域として趣を残しています。
浦和御殿と市場の賑わう街
浦和は幕府の直轄地、「天領地」でした。徳川家の狩り場(鷹狩り)として休憩所施設もあり、「浦和御殿」と呼ばれました。市場としての歴史が古く、戦国時代より流通が盛んで、現在の発展にもつながっています。
明治9年(1876年)に埼玉県の県庁所在地となり、明治16年(1883年)年には浦和駅が新設され大きく発展していきました。
浦和大火後に
明治21年(1888年)の3月4日に街の3分の2を焼き尽くす浦和大火が起きました。これを境にして家屋は茅葺屋根から瓦屋根に建て替えられ、街は生まれかわりました。この火事の際に焼け出された人に配られた救援物資のひとつが、現在も浦和駅前で手に入る「ときわだんご」といわれています。
「鎌倉文士に浦和画家」
大正12年(1923年)の関東大震災で比較的被害の少なかった浦和町は人気の住宅地となりました。首都圏20キロ以内という至便性もあり、多くの画家や文化人がこの地に移り住みました。関東では文学者の居住が多かった鎌倉と同じく文化的なエリアとなり、「鎌倉文士に浦和画家」といわれました。現在も美術館が多く、アートの街といわれます。文教地区として名門校が多く、首都圏でもトップクラスの教育水準を誇っています。
埼玉サッカー発祥の地 浦和100年の誇り
一方、浦和は誰もが知るサッカーのまち。その歴史は明治41年(1908年)の埼玉師範学校(現埼玉大学教育学部)に遡ります。この学校で始めてサッカーを教えられた学生たちが、卒業後、教師や指導者となり浦和の中学や高校で指導し始めました。優秀な指導者も育ち、互いに競い合うなかで質的なレベルアップを図っていきました。これが100年以上の歴史を刻む埼玉サッカー発祥の由縁で、そしてレジェンドが生まれます。
昭和20年~50年には浦和高校、浦和西高校、浦和市立高校、浦和市立南高校などが次々と全国大会で優勝し、浦和の名を全国に轟かせました。なかでも単独校では初の高校三冠(高校総体、国体、冬の全国高等学校サッカー選手権)を成し遂げた浦和市立南高校は、新設高校としてクラブ創設5年目での偉業でした。また高校サッカー選手権大会の2連覇という金字塔も打ち立て、高校サッカーのレジェンドに。
Jリーグでは熱きサポーターがいる浦和レッズのホームタウンです。クラブエンブレムには、埼玉サッカー発祥の「埼玉師範学校」の校舎、「鳳翔閣」の絵が描かれ、伝統の誇りを胸にピッチに立ちます。
タキゲン製造株式会社 浦和支店
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