【第9回】相模国の街道と水上交通の交差点 厚木支店
第9回は厚木支店です。神奈川県のほぼ中央、相模平野の北側に位置し西部には丹沢大山国定公園を抱きます。相模川の水量が現在より多かったころ、厚木は主要街道と水上交通の合流地として物流拠点となり、江戸時代には「小江戸」と呼ばれ宿場町としても賑わいました。現在も東名高速道路、小田原厚木道路、国道が交わり神奈川県の物流機能を有します。
戦国大名、毛利氏発祥の地
武士が初めて政治を行うようになった鎌倉幕府の政所(まんどころ)で、初代別当(長官)となった御家人に大江広元(ひろもと)がいました。大江広元は平安時代から鎌倉時代にかけて朝廷に仕える下級貴族でしたが、源頼朝の側近として朝廷との交渉も司り、よく補佐しました。頼朝はそんな功臣のあった大江広元に、相模国愛甲郡毛利庄を所領として与えました。この毛利庄が現在の厚木市周辺です。ちなみに頼朝に仕えた武士の多くがこの愛甲郡地域から出た愛甲武士と言われました。
その後毛利庄(もりのしょう)の所領は大江広元の四男、大江季光(すえみつ)が受け継ぎ、この地名から毛利季光(もうりすえみつ)と名乗るようになりました。これが毛利家のはじまりで、厚木はその発祥の地となりました。
生き残った四男 毛利経光(つねみつ)の子孫
毛利季光は鎌倉幕府 三代将軍 源実朝亡き後も、四代将軍 藤原頼経、五代将軍 藤原頼嗣に仕えましたが、時の執権北条氏と妻の実家である三浦氏の対立が激化し、遂には1247年、宝治合戦(三浦氏の乱)が起きました。季光は妻側の三浦氏側に参戦しましたが、結局北条氏に敗れ、自らも自刃し、ここに毛利一族は滅びました。
しかしこの時運よく越後の領地にいて、唯一生き残ったのが四男の毛利経光(つねみつ)でした。経光は父が持っていた越後と安芸(あき)国吉田庄(広島県)の所領だけは許されました。後にこれを受け継いだ四男の毛利時親(ときちか)が安芸の毛利家の祖となり、後に中国地方で勢力を拡大し、10か国を制覇した戦国大名毛利元就(もうりもとなり)へとつながりました。
江戸と相州を結ぶ矢倉沢街道
江戸期には厚木を通る脇往還(五街道に接続する主要街道)の矢倉沢街道(矢倉沢往還)と八王子道、それに水上交通が発達した相模川の渡し場が合流することで、厚木は物流の拠点でした。表街道の東海道を大名や武士たちが利用するのに対し、商人たちが地域の特産品を江戸へ運ぶ輸送路として、「八十八坂七曲り」の裏街道、矢倉沢街道を利用しました。江戸の赤坂~三軒茶屋から厚木を経て沼津に至ります。
江戸中期以降には大山阿夫利神社への「大山詣」が江戸庶民のブームとなり、参詣道として「大山街道」とも言われ親しまれました。用水路が設けられた通りの両側に商家が立ち並び、「小江戸」の呼び名にふさわしい宿場町でした。現在の国道246号線がこれに沿うように走っています。
タキゲン製造株式会社 厚木支店
〒243-0034
神奈川県厚木市船子580-1
TEL:046-230-4001
営業時間:月~金曜日:8:45~19:00
駐車場:10台
タキゲンでは店舗販売も行っており、様々な製品を手にとってご確認いただける上、技術的な相談に対応できるスタッフが常駐しています。お気軽にご来店ください。