【第17回】朝鮮王朝にみる二人の賢君 韓国支店
第17回は海外支店となる韓国です。今回は二人の歴史上の人物を紹介します。いずれも朝鮮王朝の国王です。ひとりはハングルを制定した第4代国王、世宗(セジョン)。もうひとりは、テレビの歴史ドラマで人気を博した『イ・サン』こと、第22代国王、正祖(チョンジョ)です。二人の国王は今も賢君として語られています。
首都を漢陽(ソウル)に遷都 朝鮮王朝の誕生
朝鮮半島の10世紀から14世紀は高麗(コリョ/こうらい)の統一王朝がありました。英語読みのコリア(KOREA)の元です。その後1392年に李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮(チョソン)王朝(李氏朝鮮)を樹立させました。首都を高麗時代の開城から漢陽(現ソウル)へ遷都しています。権力を持ち過ぎた仏教を廃し、儒教を重んじ国教としています。こうして14世紀末より誕生した朝鮮王朝は約500年の歴史を刻む最後の王朝となり、27人の国王が在位しました。
庶民のための文字 ハングルの父
朝鮮王朝の中でも最高の名君として国民に愛されているのが、第4代国王、世宗(セ ジョン)です。在位は1418年~1450年。この国王は文字体系ハングル(訓民正音)を制定したことで有名です。それまで文字は漢字しかなかった朝鮮半島で、庶民が話す言葉を漢字にするには、限界がありました。そのため朝鮮語を表示するための表音文字を、優秀な学者を集めて研究させ、独自の文字体系を作り上げました。これが現在の韓国語のハングルに至っています。
また庶民の暮らしを向上させるため、儒教を政治の根本とする王道政治を展開し、安定した時代をつくったといわれています。名君として「世宗大王」と呼ばれ、現在の1万ウォン紙幣に肖像画が描かれています。
歴史ドラマ『イ・サン』 幼き王子から若き賢君へ
もうひとりは、朝鮮王朝第22代国王、正祖(チョンジョ)です。その名の『イ・サン』はテレビドラマとなり大変な人気を博しました。実在は1752年~1800年。
正祖の父である・思倬世子(サドセジャ)は、祖父で21代国王である英祖(ヨンジョ)の後継者候補でしたが、王朝内の権力争いによる陰謀から無実の罪をきせられ、英祖の命令によって牢に閉じ込められ、やがて餓死してしまいました。
正祖は父が亡くなった後、8歳にして世継ぎ候補、11歳で正式な後継者として皇太子となり、やがて25歳で22代国王に就きました。
正祖は父の悲劇もあったことから、いち早く朝廷内を改革・刷新し、王権の強化にあたります。産業、商業などの経済の活性化や文化振興など、自分の理想とする国民のための政策を立案、実行しました。またたとえ派閥相手であっても、能力のある者は平等に人材登用したといわれています。
父を偲ぶ思い 墓を移した水原華城
韓国には世界遺産となる「水原華城(ス ウォン ファ ソン)」があります。これは正祖が若くして非業の死をとげた父を偲び、墓を水原に移すとともに、周囲に華城を建設したものです。国の南部を守る要塞の役目もありましたが、何より政治の安定、経済の発展、そして父への思いを込めた意義のある城郭でした。
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