1973年(昭和48年)の発刊以来、『タキゲンニュース』は社業の成長とともに歩んでまいりました。そこで、本誌バックナンバーより故 瀧源秀昭社長の発言を抜粋する連載企画をスタートしました。過去のメッセージから多くのヒントを現在に伝える、いわば原点回帰のページ。タキゲン製造の基本精神を継承する、未来へのアーカイブです。
万が一のことを考えた生産方法
ローコストでハイクオリティな製品が求められる昨今、生産拠点の集約・一括生産によるコスト削減は基本的な対策です。しかし先代社長は、社内の反対がある中で敢えて、コスト上昇のリスクをとりながらも複数拠点での生産を行ってきました。それは金具メーカーであるタキゲンの社会的使命を果たすためのこだわり。万一の大災害があった場合にも必要な製品を滞りなく提供し、復興や再建に資するために必要なコストと考えていました。
昔からタキゲンは二本だて生産で、東京と大阪の協力工場で作ってきました。それに対しての反対意見はよくありました。
一か所で数量をまとめた大量生産で値段を安くしてもらう方が商売としては得策だ―と。
それはそうです。あえて両方で作らせた―。万が一のことを考えたからです。
阪神の大震災を見に行ったときに、私のやっていることは間違っていなかったと痛感しました。
今はだんだん減ってきましたが、昔はみな木造で長屋です。其処(そこ)に車を入れるために柱を切って車庫にしていました。それが揺れて潰れ、車もぺしゃんこ。ガソリンが全部入っているわけです。火が付いた街は一発で全滅です。
何だかんだと言っても、当社の製品は2箇所で作るということは半分ずつですから高いものになっています。
しかし、万が一の時には、安い高いと言っていられません。だからあえて両方で作らせたわけなんです。これは災害対策として一番重要なことだったのです…。
(2006年10月号 経営会議レポートより)