1973年創刊。タキゲンニュース500号を迎えて
1973年の創刊から44年。
タキゲンニュースは2017年7月号で500号を迎えました。
創刊から現在までの歴史を紐解いてみましょう。
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瀧源秀昭が託すタキゲンニュースへの思い
タキゲンニュースが発行されるに当たり、先代社長は社員同士の人間関係の構築を願っていました。
「当社にとって一番大切なことは、私を始め新入社員に至る迄の人間関係…このことを昨今特に痛感している折本誌が発行され、ともすれば組織やら仕事等で失われがちの意思の疎通、日頃話をしたこともない同僚や、先輩との相互理解、新しい友の発見、良い人間関係が生まれることを期待して、この社報を永くみんなで大切に育てていくことを心より願ってやみません。」(創刊号より)

今は載って無い経営会議報告
[吹出しスタイル]
2017年1月号より巻末連載「瀧源点回帰」が始まりました。500号を迎える節目に、改めてその想いを振り返る機会となりました。
創刊500号にあたり、歴代編集長にタキゲンニュース制作にまつわる思い出を語って頂きました。
パソコンが無い時代、アナログでの制作

タキゲンOB 島名
担当:100号〜
タキゲンニュース500号おめでとうございます。
毎号楽しく拝読させて頂いています。
私は4年ほど前に定年退職致しました島名と申します。以前タキゲンニュースを担当していたご縁で当時の思い出を書かせて頂きます。
昭和56年に広報課に異動になり約10年間、タキゲンニュースなどに関わっておりました。もちろん最初は印刷のことは何も知らなかったため、カタログの制作見習いからスタートしました。
数年後、上司の退職や異動にて広報課長を任されるようになってから、タキゲンニュースを100刊以上制作したような気がします。当時の広報課メンバーは2名。この2名でカタログ・展示会搬入搬出・伝票類の作成、その上営業電話の受信もしながらの業務でしたので、大変苦労しながらの制作でした。
当時のタキゲンニュースは先代社長の経営会議の発言を主記事に社員・家族・協力工場様に会社方針の伝達をすることが主な目的の、社内報の要素が強い内容でした。それからだんだんと誌面が充実していくにつれ、原稿集めに苦戦しました。興味を引く記事はなんだろう? 社員旅行や海外研修レポートを載せたらどうだろう?とたくさん悩んだことも、今となってはいい思い出です。
また、編集面から言えば、1980年代のまだパソコンが無い時代は今では想像もできないくらいアナログの世界でした。文字は写植の文字から明朝体やゴシック体、ナール体、ゴナ体などデザイナーと選定し発注、版下を作成するという具合でした。
そうそう、広報課には当時和文タイプライターがあり、使いこなせるようになったときの喜びが懐かしいです。
結びにあたり、タキゲン製造株式会社の益々の発展と社長様始め社員の皆様ならびに関係各位のご健勝を祈念致します。
これからも楽しい誌面を期待しております。
デジタル化が加速した時代

小松川支店長 網谷
担当:210号〜
創刊500号。おめでとうございます。
1992年11月、1年半在籍した名古屋支店から、再び東京・五反田に呼び戻されました。広報課勤務とのこと。季節はずれの転勤でした。
当時の広報課は島名さんと澤口さん(大竹部長夫人)の2名体制。課長であった島名さんから引継いでから、先代の瀧源秀昭社長がご逝去された約1年後の2009年3月に韓国タキゲンへ出向するまでの16年間、カタログやタキゲンニュースを作り続けました。
配属当時はまだWindowsも発売されておらず(爆発的にヒットしたWindows95は1995年発売。)、マウスも付いていないIBM PC互換機も、本社に数台あるだけでした。今では考えられませんが、表や文章を作るのにはソフトウエアが入っているフロッピーディスクと、データ保存用のフロッピーディスクの2枚が必要でした。どちらも大きさは8インチ(8インチフロッピーディスク、直径20cmの円盤状の磁気記憶媒体。)。
そんな時代ですが、先代は「これからの広報活動には最先端の機械が必要だ」と当時最先端のアップルコンピュータとレーザープリンタ(当時はグラデーション表現が苦手なインクジェットプリンタが主流。)、カラーの昇華型プリンター(印画紙出力ができ、仕上がりは写真のよう。)、ネガやポジも読み撮れるスキャナーなど、合計で600万円強を購入して頂きました。大変驚きましたが、責任の重さも痛感しました。これを期に、広報課のデジタル化は加速していきます。何台ものキャビネットに大量に保管されていた製品写真のネガやポジ、A3サイズのトレーシングペーパーにインクで描かれた図面やイラストを次々とデータ化していきました。
タキゲンニュースの制作において一番大変だったのは、今は誌面に載って無い経営会議のコーナーです。短い時は3ページ、多いときでも5ページ程のコーナーですが、ニュース制作全体の7割以上の時間を掛けていました。当初、前任の島名さんの奨めもあり、文章力のアップやワープロに慣れるため、経営会議(8時間程各支店・部署の発表事項や議論)のテープ起こし(録音した会議をイヤホンで聞きながら、テキストデータを作成する。)をしました。慣れないこともあり、朝から晩まで5日間ほどかかった記憶があります。A4の用紙30~40枚ほどになります。先代の方針や発言を中心に、幹部社員や支店長からの必要な情報と、重要と思われることを抽出し、先代に校正(文章に誤りがないかをチェックする。校閲とも言う。)をお願いします。ここからは先代とのキャッチボールになります。印刷屋さんとの直しは文字校正、色校正、最終校正と3回で校了ですが(数年後に2回となる)、先代の校正は納得するまで、何回でも続きます。先代が修正箇所に赤字を入れ、私がデータを修正し、出力してまたお見せする。これの繰り返しですが、時にはご自宅へFAXしたり、電話で修正の指示がありました。
印刷の都合でその日の内に校了しなければならない時は、夜9時、10時でも、先代は私の作業を待って校正してくださりました。最後には「よし、これで行こう」と言っていただき、待っている印刷屋さんに原稿を渡します。先代が求める文章は、短くて、簡潔明澄。文章でも、人の心を動かすことに心がけていました。
そんな日は疲れて空腹なので、もう帰りたいのですが、先代から「網谷。若ちゃん(東京、五反田にある老舗のおでん屋さん。)におでんの持ち帰りを頼んであるから、取ってきてくれ」と帰り支度の中を呼び止められます。しぶしぶ取りに行ってお渡しすると、袋の中には2袋入っており「お前の分も頼んどいたからな、家族で食べなさい。美味しいぞ」と満面の笑顔で渡してくださいました。厳しくも優しい先代でした。
タキゲンニュースは競合会社も見ていることが考えられました。そんな競合に知られると好ましくない内容があります。タキゲンが次にどの分野に力を入れるか、商品の仕入値など、秘密にしたい部分など。その部分の文章を私が削除すると怒られました。「こういう部分があるから、面白くて見てもらえるんだ」と、その部分を復活させます。すると後日、井本さんや安村さん(当時の役員)から、「お前、なんでこんな事、載せるんだ!!」と怒られました。事情を知っている山田さんや古岡さん(前役員)が慰めてくださりました。今はいい思い出です。

経営会議のコーナー
先代社長の印象的だった言葉を思い出して挙げてみます。
- 「人がやらない事、儲からないだろうと周りから反対される事を行うのが商売の基本だ」
- 「最悪のことを考えておいて。楽観的に実行する」
- 「総花的では守備的な考えだ。新しいことは集中攻撃的でなければ駄目。攻めるときは兵力3倍で」
- 「営業のできない技術屋、技術のない営業マンはいらない。技術営業を目指せ」
- 「客に対する誠意はもちろん、下請けに対する誠意も大切だ」
- 「値下げは一番早く、値上げは一番最後に行う」
- 「部下や協力工場に間違いを起こさせるシステムは作ってはいけない。子供を罪人にさせるのは我々親の責任だ」
- 「本社で中央集権的に物事を管理すると、支店長は育たない。地方集権の方が人は育つ」
一見逆ではと思われる言葉や、文字通り実践すると誤解をまねきそうな言葉、我々が漠然と認識している事柄を的確に言語化している言葉など、様々です。いずれも味わい深く、物事の本質を突いており、それは故・瀧源秀昭社長の、単に年を重ねても培うことのできない卓越した経営感覚や商売への姿勢、永年の経験に支えられた言葉の数々なのです。
お客様とタキゲンをつなぐツール

広報課長 中西
担当:386号〜
500号の記念すべき発行に際して寄稿できることをうれしく思います。
私が広報課に配属されニュースに関わるようになったのは2007年11月の386号から114回となります。入社以来、営業、貿易、資材業務と多くの業務に関わってきましたが「広報だけは関わることは無いだろう」と思っていたところ的中した感じです。
普段から本を読むことも少なく私にできるかなと思いながら企画、校正と毎回文字に関わると、当初はあまり根気の無い私は徐々に眠気が襲い苦悩の連続で、またMac(Macintosh)のパソコンを初めて触りびっくりした記憶があります。500号の発行を思うとそんな自分の成長に驚きます・・・。
毎月のタキゲンニュースはスタッフの試行錯誤と社員からの投稿で支えられ多くの企画が掲載されて来ましたが、私の代で永く続いた二つの企画が終わりを迎えた印象深いものがあります。
一つに「経営会議報告」の記事でそれは先代瀧源秀昭社長の思いを伝える記事でした。発行当時より議事録的な掲載で不定期な掲載でしたが、いつしか毎月の掲載に変わり会社の方針、社長の考えなど多くの方々に感銘を与えた記事でした。もう一つは、時代が環境に関心が高まり「エコニュース」として漫画で環境問題を伝える記事もあったことを皆さん覚えていますか?
社内行事、研修などの社内誌の要素から新製品を掲載しながらお客様への送付も多くなりタキゲンの広報誌としての役割が大きくなってきています。
デジタル化時代のなかですが、これからも皆様方のご協力で心温まる社内の情報や新製品の発信などでお客様とタキゲンをつなぐツールとして「タキゲンニュース」を活用した頂ければ幸いです。
これからも宜しくお願い致します。
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