情報の面白さを、ちょっと視点を変えて眺めてみると今までと違った側面が見えてきて、時にはビジネスにも役立つ発想がわいてきたりするものです。
人生いろいろ、日本人もいろいろ 〜変わりゆく日本を象徴するようなハーフアスリートの活躍〜
日本社会もスタンダードが消滅するほど多様化してきた
ここ数年、日本のスポーツ界では、両親のどちらかから外国の血を受けついだアスリートたちの活躍が目立つようになりました。欧米への留学も、仕事での海外赴任も珍しくなくなり、ときに「内向き」「閉鎖的」と揶揄される日本も、市民レベルでは海外との交流が盛んになり、国際結婚も増えてきた。その結果、一般にはハーフ(英語ではmixedと呼ばれます)と言われるアスリートたちが数多く誕生してくることになったのでしょう。
様々なルーツを持つ個性的なアスリートたちの活躍を賞賛する声がある一方、SNSなどには「純粋な日本人じゃない」といった書き込みも多く、あらためて日本人とは何かという命題を考えさせられます。しかも、純粋な日本人とは何なのか……と。
日本人、あるいは国民とは、国籍で決まるものでしょうか。それとも血筋、あるいは言語や文化を共有することで認められるのでしょうか。日本国憲法には、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」(第10条)とあり、その具体的な法律(国籍法)では、「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」は「日本国民とする」となっています。
しかし、この条件を満たし、日本語を話して日本の学校に通い、日本文化の中で育ったハーフアスリートたちをも「純粋じゃない」と半ば否定する傾向も見られます。となると、日本人の両親の間に日本で生まれ、日本語を話し、日本の習慣や社会常識を身につけている者しか日本人と認めないのでしょうか。それは、あまりにも偏狭ではないでしょうか。
日本人は多様性が苦手と言われますが、現実の社会では、家族のあり方や個々人の生き方など、すでにスタンダードが消滅するほど多様化しています。島国的と言われる心の壁を取り除き、日本人のあり方も様々であると意識を変えるときではないでしょうか。
日本に在留する外国人は264万人弱、総人口の2%ほど
ヨーロッパには、父がイギリス人で母がオランダ人、自分はフランスで生まれたフランス人、そんな例はたくさんあります。先祖を数代たどれば10ヵ国ほどの血が入っている人も珍しくありません。こうなると、各人が自分のアイデンティティを自分で築き、選択した国を愛することが大事になってきます。あの多様性の国アメリカで、国民として求められるのは国を愛することだというのも納得できます。テニスの大坂なおみ選手がインタビューで、「自分は自分だと思っている」と発言したのも合点がいきます。
日本は単一に近い民族だし、在留外国人は264万人弱(2018年6月末)で総人口の2%ほどしかいません。しかも、その半分近くが東アジア(中国、韓国)の人たちです。多国籍社会には程遠く、和をもって尊しとなす精神も、空気を読んで行動する習慣も色濃く残っています。海外メディアが「もっとも均質的な国」と評したのも無理はありません。
しかし、そんな日本にも多様性の波が静かに押し寄せているのを教えてくれるのが、様々なルーツを持つアスリートが日本人の中に増えているという事実ではないでしょうか。2020年の東京オリンピックでは、テニスや陸上、柔道などで彼らが活躍し、また日本人論が繰り返され、同時に意識の変革と多様性の受け入れが進むと予測されます。
いま欧米の国々が右傾化し、国粋的になりつつありますが、彼らには日本とは比べ物にならないほど民族や国籍、宗教、文化などの違いを受け入れ、尊重した歴史があります。その歴史を学び、自分たちの生き方を考える。それが必要な時代がきています。
トルコ系ドイツ人 エジルの苦悩
「勝てばドイツ人、負ければトルコ人」
今年、ドイツ代表としてW杯で活躍したエジル選手は、トルコ系移民3世。ドイツ生まれで国籍もドイツだが、グループリーグを最下位で敗退した後、代表からの引退を表明した。理由は人種差別。「勝てばドイツ人だが、負ければトルコ人と言われる」と。多様性を認め、移民も多いドイツだが、もちろん問題もある。